2010年12月20日月曜日

出産




嫁@これで妊婦ブログ終了です

12月9日 39週と2日で出産しました
切迫早産との診断だったので37週になれば
すぐに 産まれるのかと 思っていましたが


今度は ぜんぜん産まれる気配なく
だんなさんと 多摩動物園 川原 サンリオピューロランド 紅葉かりやら
やたらと 散歩へ 行っていました 笑

ある日の川原では20キロほど 歩いてしまい
へとへとになりすぎて いま陣痛がきたら
確実に 産める力が残っていない~と心配してたくらいでした
それも 夫婦の良い思い出となりました
出産は ゆるーい痛みが夕方からきていましたが 
また 前駆陣痛だろうと 誰にも言わず
ころころ していたら 夜の10時40分「ぷちっ」と
大きな音とともに 破水

急いで 病院へ

その後 たえがたい 陣痛がどんどん襲ってきて
あれよあれよという感じで あっという間に 分娩室
夜中の3時9分に 赤ちゃんはぶじ でてきてくれました

4時間くらいでした そこは切迫早産だけにという感じです

でてきたわが子は
へその緒が なんと 首に3巻 肩に1巻・・・
赤ちゃんの呼吸がしっかりしていたので
お医者さんたちも 異変にきづかず 
そのまま普通分娩で出産

普通なら 緊急帝王切開だよ~~と  
お医者さん 助産師さんも びっくり

切迫流産から始まった わたしの出産は
最後まで 結局は わが子の生命力に
助けられていました

わたしが 人一倍 弱虫で 痛いのも嫌いで
多少めんどくさい 性格なこと きっと
知っているのだろうなぁ 笑
そんなふうにも思えてきます

だんなさんはというと 夕方から出産まで
ずーっとそばにいてくれました
男は本当に何もできないのだなと実感したなどと
後で 感想をいっていましたが

わたしはあなたがそばにいてくれなければ
乗り越えることは 確実にできなかったよと
本当に思うし

だんなさんと赤ちゃんに 心から感謝をしてもしきれないです

赤ちゃんは 待望の男の子 大事な跡継ぎ(?)君です
毎日 笑ってしまくらい だんなさんに うりふたつ

おっぱいをあげている時は 似すぎていて
まるで だんなさんが自分の腕の中にいるようで・・笑

引越し予定の3月くらいには 首もすわって
少しは わたしも余裕がでるし
嵐山など のんびり 散歩へいきたいなぁ
子連れでいけるカフェなども あったらいいな

お宿の1階では 赤ちゃんや子供も気軽るにこれる
環境をつくり ちょっとおもしろいことなどもできると
いいななんて 考えています

いまちょっと 頭の中で いろいろと考え中~

2010年11月24日水曜日

いつ産まれても

嫁です
 
本日 妊娠37週に入り いつ産まれてもよいときが
きました

だんなさんとは 二人でのんびりできるときも
いまが最後だからと 毎週のように
ふたりの時間を 楽しんでいます

そのたびに もちろん 来年の京都の事業の話を
リアルに していますが 動きがとれないため
ブログも ほったらかしに なってしまっていました・・ 

出産は
切迫早産だったため 薬もやめ 急に動いていますが
すぐに 産まれる気配もなく

まだまだわかりませんが 2ヶ月耐え抜いたのだから
最後くらい つるっと 早めに 
赤ちゃんに会いたいなと 思うばかりです 笑
赤ちゃんも大きめなので・・

陣痛がきやすいと言われる
スクワット 四つんばいの拭き掃除 ウォーキング
階段の上り下り 母乳のためにも良い胸のマッサージ
オロナミンC 蛙座り あぐら などなど

励んでます

今日は ラズベリーリーフティ が良いってきいたので
あした スーパーに行って探そうと 思います

早く会いたいなぁ~

2010年10月25日月曜日

脱・低置胎盤

嫁@妊婦ブログ 続きです 

予定帝王切開になるかの判断を ここ1ヶ月
様子をみていた 結論がようやくでました

原因は胎盤が子宮の入り口に近いということでした
胎盤は 360度 どの位置にできるかというのは運命。
ただお腹が大きくなるにつれ 自然と一緒に上に
ひっぱられることが多いのです
 
3cm離れていれば まあ良いとのことですが
なかなかあがらず 毎週 診察では 数ミリ単位の
話で結論がでず・・

数ミリですよ ほーんの数ミリ・・ その数ミリで大量出血の恐れがあったり
いろいろ問題がでる可能性が あるらしいです
出産とは どれだけ繊細で慎重にしなければいけないことが
またまた 身にしみて実感

でも帝王切開は 母子共に普通分娩よりも 
なによりも安全な出産だということや
赤ちゃんからの視点でいえば 普通分娩に比べて
ストレスはゼロだということなどを

お医者さんからも説明うけたりして 

去年のお腹を切った術後の苦しみを よみがえさせると
震えるほど 怖かったのですが 赤ちゃんのためなら
どちらでも よしっと思ってましたが

ぎりぎり3cm離れてくれました とりあえずは普通分娩予定です

ただ お医者さんにも言われましたが「一難去ってまた一難だけど・・」と
切迫早産の症状が悪化したので 薬が増え再度 自宅安静指示 苦笑

体質もあるみたいなので もう仕方ないです 入院にならないだけ
ラッキーって考えてます

もうすぐ臨月なので それまでの辛抱
ようやく ゴール(子育てのスタートでもあるけれど)が
みえてきました

準備もじょじょに 進んできました
京都へいって 道に迷わないためにと
わたしの父から 最新ナビつきの 新車とチャイルドシートのプレゼントが
やってきます わぁーいわぁーい
だんなさんは 何でも買っちゃうわたしの両親に
恐縮の嵐のようですが・・苦笑

京都移住まであと約5ヶ月
早く 京都へ行きたいな

2010年10月17日日曜日

京都のお宿を学ぶ5 〜cinq cafe

ダンナです。

また週末の怒濤の3連発更新!今年の2月に京都に行った時に出会ったステキな京都のお宿ご紹介します。「cinq cafe」というお宿です。


ん?カフェ?

そう。なんとこちらは1階がオシャレなカフェ。2階がお宿になっているのです(全5室)。元々、田中家旅館というお宿を改装してつくったとこみたいですね。田中家旅館の看板もあえて残しているようです。


僕らはカフェ利用のみで、宿泊はしてないのですが、特別にお部屋を見せていただきました。


お部屋はシンプルなインテリア。ベッドにはこだわっていらっしゃるそうです。お風呂もキレイ!

東京、京都でカフェを経営されているお店がやっていらっしゃいます。インテリアがオシャレなのも納得ですね。


1階にカフェ、2階にお宿というのもいいなぁ...。

ダンナ

月別の観光客

ダンナです。

2回に続けて、データ分析もの。あんまり面白くなかったらゴメンナサイ(汗)。宿泊客数が年間を通じて、どのように違うのかをちょっと調べて、エクセルのグラフで作り直してみました。(出典:京都市観光調査年報(2009年版)

やっぱり宿をやる上で、ここはちゃんと把握しておかないとですよね。こちらもざっくり言うと

●繁忙期  3〜5月、7〜11月
●超繁忙期 4月(桜)、11月(紅葉)
●閑散期  12月〜2月(真冬)、6月(梅雨)

ふむふむ。まぁ、こういうことなんだろうなぁ。宿を始めるにあたって、ポイントは

閑散期にどんな仕掛けをするか?

になるでしょうね。京都はやはり観光地としてのブランド力が相当高いので、桜シーズンとか、紅葉シーズンはおそらく、ほっといても人が来るのだと思うのですが、「全然人が来ない」時にどうするか?でしょうね。。選択肢としては

1)宿泊のお客様を誘致するキャンペーンを仕掛ける
   →価格を安くする
   →この季節にしかない付加価値をつける

2)この場所を使って、宿泊業以外のことをやる
   →ワークショップ?カフェ?

3)そもそもこの時期はお休みにしちゃう(笑)
   →割り切って旅に出かける期間にするとか

どれもあると思いますが、ここは腕の見せ所になるでしょうね。。思い切って選択肢3にするという手もあるとは思います。

ダンナ

京都の観光マーケット

ダンナです。

む。週3回投稿、続いてないですが、めげずに頑張るぞ(汗)!さて。今日は京都の観光市場のこと、リサーチしたこと書きます。

出典は京都市産業観光局の、京都市観光調査年報(2009年版)。ザックリ言うとですよ。年間を通じた京都の観光市場はこんな感じ。

ざっと読み込んで、宿業をやる上で、重要そうな情報だけ抜き出しました。

年間の観光客数  4700万人   ※宿泊+日帰り
年間の宿泊客   1200万人   ※団体+個人
個人の宿泊客   1000万人
男女比      女65%  男35%
平均宿泊数    1.65泊(60%:1泊、31%:2泊)
平均商品金額   総額       29,781円
          →宿泊代    10,524円
          →市内交通費   2,523円
          →土産      6,468円
          →食事      6,975円
外国人宿泊客     80万人
            →1位 アメリカ    31%
            →2位 台湾      10%
            →3位 オーストラリア  7%
            →4位 フランス     7%
            →5位 中国       6%
            →6位 イギリス     5%
            →7位 ドイツ      5%
            →8位 イタリア     4%
            →9位 韓国       3%
            →10位カナダ      3%


ふむふむ。これは結構学びがあるなぁ。ここから読み取れることは色々あるけど、特に印象的だったのは

●3人に2人は女性であること。
●外国人のお客様のほとんどはアメリカとヨーロッパからであること。

の2点ですかね。女性客が多いのはなんとなく京都に行った時に感じる事ですが、こんなに多いんだ。。。

そして外国のお客様。東京の場合は中国系の観光客が最近は本当に多いのですが、中国の人は京都にはあまり行ってないのですね。彼らの興味は秋葉原とか、東京での買い物なのでしょかね。。

アメリカ、ヨーロッパの人は日本の文化に興味があるし、ここ数年はまたクールジャパンブームらしいし。いずれにしても、宿業をやるときの課題は

「女性をどうやって取り込むか?」
「外国人、特に欧米のお客様をどう取り込むか?」

この2点は避けては通れない課題となると思います。
明日も引き続き、書きます!

ダンナ

2010年10月7日木曜日

一難去ってまた一難

嫁です

だんなさんは 本人もツイッターでもつぶやいてるとおり
追い詰められるとやるタイプで ブログをたくさん
あげてくれてます 家事なんかも そうしてくれると
助かるのだけど・・ 妊娠中だけでいいので 苦笑

追い詰められることが 大の苦手で 用意周到な私とは
性格が逆で バランスがいいのかもですが 笑

だんなさん 京都へ行き 1泊だったとはいえ かなり
お勉強になり 頭の中が 京都モードに
いよいよ なってきたようです

ここ数日 家では 京都の話をいつもニコニコしてきます
なんか その単純な性格が私にとっては 子供のようで
かわいいです 笑

前回のブログで切迫早産のことを書きましたが
主治医のいうとおり 3週間の絶対安静状態を
きちんとまもっていたところ 幸いにも 数値が戻り
少し 動けるようになりました 

ですが こんどは 別の問題が浮上
普通分娩か帝王切開かの 瀬戸際になってしまいました
主治医も いまはまだ 判断できる時期ではないので
様子見 のところ

不安がつのるばかりです 去年別の手術でお腹を
切っているので 同じ思いをするのかと思うと
凹みます 切迫早産で安静にしているほうが帝王切開よりも
ずっとずっと楽で いいです

ほんといろいろありますね・・

ですが ここまできてくれたので なんとか無事に
産まれてきてくれれば もうなんでもよいです・・

帝王切開は 自分の力で産んでないから出産ではないなんて
心無いことを言うひとも いるようです
悲しいですね はぁ

いろいろと 次から次へと問題がでてくるので
家にいると 妊娠出産のこと調べてばかりで
そうとう 詳しくなってます 笑
 
よかった点もあります 命の神秘・大切さを身にしみて
深く 感じられていることと
だんなさんの 「パパ自覚」が 早めにそうとう高くなっていると
いうところですね 男性は産まれても実感が まだわかない人も
多いようだし

京都のことも宿のことも たくさんやらなければいけないことが
あるのですが どうしても いまは 赤ちゃんが大最優先で
こんな話ばかりに またなってしまいました・・

だけどいまは だんなさんに任せて 私は赤ちゃんに集中しよーっと
いま この子を 守れるのは 私だけだから・・   

2010年10月3日日曜日

町家を改装したイタリアン、「道月」

ダンナです。
もう怒濤の3日連続更新ですよ!(友人と週3回更新を約束してしまったので 汗)
最近はですね。東京でできた友人が、京都で活躍している人が多いのですよ、えぇ。新しいコンセプトのホテルを企画から作っている友人がいたり、大行列のドーナツ屋をの店舗開発をしている友人がいたり...。
刺激されるし、そんな友人達が周囲にいるのは誇らしいかぎりなのですが、
そんな自慢の友人の1人が京都市役所のすぐ近くに、町家を改装したイタリアンを今年、開いたので、両親と一緒に初訪問しました。

★ ぐるなび 〜パスタコレクション「道月」

外観、インテリアはこんな感じ。食事をしながら京町家を体験できます。


その名の通り、パスタが売りのお店。ランチは前菜、パスタ2品、デザートがついて、1500円。リーズナブルですよね?僕はメインのお肉もつけました。+800円。
どれも美味しかったですが、自家製のショートパスタ、ロングパスタを2種類楽しめるというのはいいですね。量も二皿食べるには、ちょうどいい感じです。

日本人はパスタ好きだし、「パスタコレクション」というのは、とてもいいコンセプトだと思いました。
ランチのピークはちょっと過ぎる、1時過ぎに行ったのですが、お客様はいっぱい!さすがですね。京都に在住の僕の親戚もすでにたくさんリピートしているようです。
その夜、別のイタリアンを食べに行ったのですが、そこのシェフも道月のことはよくご存知で、「うまくやってますよねぇ...。いい切り口だと思います。」とおっしゃっていました。
ゲストハウスが激戦区なように、京都は今、イタリアンも激戦区らしいです。京都らしい町家を改装した、というだけでは、もうそれほどの目新しさはなくなっていて、他にどのような特徴をつけていくか?というのは本当に重要なテーマなのだと思い知らされました。
道月のオーナー店長は、実は僕の大切な後輩。10年近い長い付き合いがあります。彼が大学生で、就職活動を頑張っていた頃から知っているので、今やこんな立派なお店を自分で切り盛りして、成功していることをとても誇りに思ったのと同時に、たくさんの学びを頂きました。
あ。ちなみにこのオーナー、メチャイケメンです(笑)。お近くを訪れる際には予約をとって是非行ってみてください!

ダンナ

2010年10月2日土曜日

京都のお宿を学ぶ4 〜ゲストハウス「金魚家」

ダンナです。
京都訪問レポートパート2です。今回の訪問のもうひとつ大きな目的は、ゲストハウス「金魚家」さんに体験宿泊して、オーナーと女将さんにお話を聞かせてもらうこと。
何とオーナーも女将さんも私と同年齢!!
しかも東京での仕事を辞めて、今年の4月に開業したばかり!!
境遇まで似ている!とあって、これは是非行きたいと突撃訪問させてもらいました。


金魚家さんは西陣織でも有名な「西陣」にあります。落ち着いた住宅地の中にある、京都の町家を改装したステキなお宿です。入り口にはシンボルの大きな金魚の看板があります。

個室もドミトリーもありますが、私は一人で行ったので、ドミトリーに宿泊。

こちらは共用のスペース。お庭もあって、京都の暮らしを満喫できます。

ポイントで置いてあるインテリアはどれもステキ。オーナーは元アパレル業界、女将さんは元ジュエリー業界ということもあって、お2人ともオシャレなんだよなぁ。


それと朝食。最近は京都に町家を改装したゲストハウスが増えていますが、金魚家さんはしっかりとした純和風の朝食を出すということでも特徴を出されています。

オーナーのご実家でつくった美味しいお米というのもステキです(ちなみにご飯とお味噌汁はおかわり自由。たくさん食べたい男性にも嬉しい)。どれも一品一品、丁寧に心混めて作ってあって美味です。
こちら、オーナーが目の前で火鉢で焼いてくれる、お魚がつきます。

僕は一泊しかしてないのですが、食事をご一緒した一人旅の女性の方によると、昨日とは違うメニューだったとのこと。複数泊される方にも嬉しいですね。

ドミトリーで1泊朝食付きで、3200円。これはかなりお得感あるよなぁ。

オーナーと女将さん。お2人とも、とてもフレンドリー。
「来年から宿やりたいんです」と、おしかけた僕にも、惜しげもなく色々教えてくれました(ちなみに前日はオーナーとサシ飲みで色々話を聞かせてもらいました。ホントに感謝です)。

普通であれば躊躇してしまうような内部情報や、アドバイスまで。本当に親切に教えてくれました。ホントにステキな2人だったなぁ。

お宿はハード面も、ソフト面も大切ですが、やっぱりまた行きたくなるのは「人」だなぁと、お2人の対応を見ていて思いました。

是非、これからも永いおつきあいをさせていただきたいです。

今回は嫁が行けなかったので、来年は嫁と生まれてくる子供と一緒にお邪魔しようと思います♪

ダンナ

開かずの蔵を、開けちゃいました

ダンナです。

嫁の記事にもありましたが、昨日から1泊で、京都に行ってきましたよ。駆け足の旅でしたが、かなり充実の旅でした。何回かに分けて、記事をアップしたいと思いま〜す。

まずメインの目的。来年から暮らす予定の嵯峨野の物件を、両親と一緒に内見しました(今は人に貸しているので、普段は見れないのです)

あ。改めてきちんと整理しますと、当初の計画から変更があります。

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嵯峨野の物件   →住まい

西大路御池の物件 →お宿

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とすることになっております。

ブログのタイトル画像と、プロフィールの図面も変えないとだな嵯峨野で宿をやることになったままになっているし

以前の記事にも書いたも開けちゃいましたよ、えぇ。

ありましたよ、先祖の宮大工のモノがわんさかと。

いかにもな古い木箱に「古文書」とか書いてあって(笑)、冒険映画でお宝を探し当てたような気分を味わいました。

中身を見たい衝動にかられましたが、時間がなかったので、そこまではできず...。後ろ髪をひかれる思いで、蔵を閉めました。

とにかく荷物がたくさん入っているので、蔵BARとか、やりたいなぁとか言ってましたが、もうちょい先の話ですね、それは。

京都に移住してから、蔵の中を整理しながら、ゆっくりやることにします。

母屋の方は貸している方がとてもキレイに使っていらっしゃったので、そんなに修理の必要性はないかなという感じです。でも古い家なので、冬はちょっと寒そう...。子供ができるからそれが心配です。

明日は宿泊した、ゲストハウス金魚屋さんのことをレポートしたいと思いま〜す。ステキなお宿だったぁ。

ダンナ

2010年9月30日木曜日

だんなさん京都へ

だんなさん 今日から京都へ 1泊の予定

本当は遅い夏休みですが ふたりで
沖縄と京都へ1週間いく予定でしたが 
キャンセル・・

急遽 だんなさんが 京都へひとりで1泊でいくように
変更しました 赤ちゃんのためなので仕方ないです

だんなさんは
来年 引っ越す嵐山のお家の中を
みせてもらいに 今頃 だんなさんの両親と
合流しているでしょう

そして 帰ってきたらきっと ブログに
のせると思いますが とある ゲストハウスに宿泊しつつ
同じように 開業なさった方から お話をきいてくる予定に
なってます

私がいけなくなったから(妊婦なのでわたしがいるとできなかったため)
個室でもなく ドミトリーの初体験が だんなさんはできることになり
それはそれで とってもいい勉強に
なってくると思います

お布団はどんな感じ?見知らぬ人とはどんな交流?
ハウス全体の雰囲気は?ハイシーズンでもローシーズンでもないいまは
どのくらい人がいるのかな?

たくさん聞きたいことがあります
早く 帰ってこないかなぁ~ 
(さっきいったばかりだけど 笑)

嫁 

2010年9月26日日曜日

人生プラン変更

ダンナです。

「もうどんだけ更新しないんだ、お前...」と各方面から呆れられておりますが、しれっと更新しますよ。

そう。実は嫁が妊娠中なんです。医者から絶対安静を言われておりますが、順調に行けば今年の12月に出産予定です。

当初は2011年頭には「宿、開業だ!」くらいの意気込みでおりましたが、若干人生プラン変更です。今のところ

《2011年》
●3月末に退社・独立
●4月頭に京都にお引っ越し
●4月〜10月開業準備
●11月開業

という感じで進めていくつもりです。宿のコンセプトや、事業計画などはつらつらと考えておりますが、実際の準備は来年引っ越ししてからでしょうね...。

結果的に約1年の遅れですが、スケジュールを優先するよりは、家族のことや、あとはきちんと納得できるお宿にする!ということが大切かなと思っているので、いいかなと思っています。

来週、9月30日、10月1日は1泊2日で京都に行きます!短い時間ですが、京都のゲストハウスを体験したり、お宿のオーナーにお話を聞きに行こうと思っているので、またこのブログでもレポートしますね〜。

これからもどうぞよろしくお願いします!

ダンナ

2010年9月16日木曜日

妊娠 切迫流産 重度の悪阻 切迫早産

嫁です

宿とは関係ないですが この時期にこんなことが
あったという記録のため 書いておこうという気になりました

去年 婦人科系の病気を患い 完治はしていますが
赤ちゃんがほしい場合は 1日でもはやくねと お医者様に
助言され 少しブログでもおわかりのとおり

京都には まもるべき土地やお墓があり
だんなさんの先祖が大切にしてきたものを 私としては
せっかく すてきな縁に恵まれ愛するひとと 
結ばれることができたのだから
自分の力で 後世につなげていきたいと強く思っていました
 
だんなさんは優しいので プレッシャーに思うことはないよ、
二人だけの人生だって 楽しいのだからっていってくれていましたが。

そして ハネムーン帰国後 すぐ妊娠がわかり
去年の病気のことがあったから 望むとおりに
赤ちゃんを授かれたことが 本当にうれしくて
二人で 喜んでいたのも つかのま

大量出血が1ヶ月とまらず お医者様の診断は
切迫流産の重症 しかも赤ちゃんの位置すら悪いとのことで

あきらめる覚悟を。まで言われ 仕事もやめ安静にしながら落ち込む毎日


妊娠は一度きりではないし ちゃんと妊娠できるとわかっただけでも
すばらしいことだと なんとか 前向きになっていった

赤ちゃんは すごく 頑張り屋さんだった あれだけの症状だったが
切迫流産の危機を乗り越えたのだ

産まれてきたいっていってくれてるようだった

一瞬 安心したのだが 次にやってきたのは
重度の悪阻つまりつわりである

最初は男性であるだんなさんに つわりの辛さを理解してもらえるまで
時間がかかった 一人でたくさんお酒を飲んでたり
仕方ないけど つきあいで 夜中まで帰ってこなかったり
そんなこともあった

私のつわりはつい最近までと長かった上
食べては吐くの繰り返し 実家へ帰る電車でも何度も
途中下車して ホームで吐いちゃったり
そのうち 喉か食道がたえられず 血まで吐く毎日

その後歯医者にいった際 つわりがひどかったこと 的中された
吐くときに胃酸がでるが それにより 口内がいまだ ただれているらしい

吐くという行為は 気持ち悪いだけでも嫌なのに
ものすごい エネルギーがいり 精神的ダメージが強い
心細かった 少しでもそばにいてほしかった 

だんなさんも 理解をしてくれてからは ほとんどつきあいもいかず
そばにいて 励まし 慰め 赤ちゃんとわたしのそばにいてくれた
うれしかった

つわりは 赤ちゃんが成長している証拠ではあるけれど
大変個人差があり 何にもない妊婦さんだっている

なかなか 世の中の理解が得られない
しかも辛い経験をした妊婦しか わからない
妊娠なのだから 仕方ないと一言いわれて 終わってしまう
私の唯一の救いは 同じように苦しむ妊婦さんのネット上での掲示板だった
こんなに医学が進歩しているだから もっとつわりに対して
目をむけてくれても いいものだと思う
立派な病気だと 私は訴えたい

妊娠5ヶ月も半ばか6ヶ月過ぎたころ やっと吐かなくなっていった
気持ちも 楽になり 普通の生活ができるようになってきた
周りの友達にも やっと妊娠の報告ができた

だんだん膨らむ お腹に しっかりと 赤ちゃんの力を感じた

残りの妊娠生活では 体重が増えすぎないように 
ヨガにいったり 軽く歩きにいったり 引越しの準備を 
少しづつしていたり そしてゆっくり 出産準備に備える予定だった

そして 昨日の検診で

切迫早産との診断


せっかく元気になったから これからたくさんのこと
しようと思っていた矢先

家での絶対安静が必要となった
トイレとお風呂と食事以外はベッドで横になっている必要がある
座っていても 重力がかかるから それは 安静とはいえないとのこと
もしできないのなら 入院らしい

いまも パソコンを布団の上におき
横向きになりながら 片手でうっている

昨日はたくさん泣いて 夜もよく眠れず
気持ちの整理をするのに時間がかかった

だんなさんも仕事を切り上げ 実家まできて
やさしくしてくれた
いまだちょっとショックで立ち直れていないけど
考えても 何も変わらないからって少し落ち着きを
取り戻せているところ

いま赤ちゃんは1300グラム いまでてきちゃうとまだまだ心配
なんとか 無事に臨月まで もってほしいが
せめてあと1ヶ月 2500グラムくらいまででも
がんばって


何にもない妊婦は普通に10ヶ月経っていくのにって
ついつい人と比較して
なんでこんなことばかりって 落ち込むときもあるけど
このお腹の子は 世界でたったひとりの
大好きなだんなさんと わたしの子

だんなさんとわたしが 居なければ 存在できない
たった一人の子

お腹にいるときから 主張がはげしくて
個性があるんだ きっと



京都では 3人の新しい生活がスタートします
育児も家事も宿も すべてが待ち遠しいくらいたのしみです

産まれてきたら みなさん ぜひ顔みにきてください

2010年8月18日水曜日

だんなさんのおたんじょうび

嫁です 

昨日はだんなさんのお誕生日でした
32歳です 
数か月間 私が体調を崩していたので 
昔は 週2,3回ふたりやときには友達を呼んで 
ワインパーティをしていたのですが

なかなか 本格的に復帰できず
ひさしぶりに がんばって料理に励みました

台所にはクーラーがないのでおそらく40℃くらいに
温度は上がり 全身から汗が流れて
普段汗など 流したことがないので
びっくりしましたが だんなさんの喜ぶ顔が
みたさに われながら 我慢強く  2時間ほど
がんばりました 痩せたかな

今回はヘルシーケーキを作ってあげたく
おからケーキにも初挑戦 
おから以外に 粉などは一切使わず
なんとも ヘルシー それに最後は 炊飯器でポチで出来上がり
おからは食物繊維も豊富で栄養もたっぷりで文句なし

ダイエットや体質改善などに興味のない方は
そりゃぁ普通のケーキのほうが おいしいかもしれませんが
わたしたちは ほぼほぼ普段から ベジタリアンに近く
ヘルシーをモットーとしているので
こんなにもヘルシーなケーキなんて と大興奮 

基本 私が作ると なんでも おいしいと 
いってくれるので うれしいですが 
本当の気持ちを探りたくなる ちょっとめんどくさい私が
少しいるので そこは私も努力

でも お料理って本当に気持ちでおいしくなるんだよなぁ
だんなさんに作るたびにそして 食べてもらうたび 身にしみる

西大路御池の1階では ちょこっとバーをしてみたい
長年の夢ですね お料理はだす予定はないけれど
少しでも 余裕があったり したら
おからケーキとか たくさんのアレンジおつまみも
出してみたいな 試食って感じで

 

2010年8月3日火曜日

京都のお宿に学ぶ3 〜吉水


ダンナです。

銀座「吉水」の女将である、中川誼美さんのお話を聞きに行って来ました。

ちょっと検索すればネット上でもわんさか、彼女のインタビューは掲載されているので、興味のある方はご一読いただきたいのですが、1998年から京都の円山公園で、京都吉水を開業(お宿としてはかなり後発)。その後、銀座と、綾部と3つのお宿へ拡充されています。

「宿を京都でやろうと思っているんだ」と周りに発信していく中で、別の知り合いから、それぞれ吉水の女将のことを紹介され、これは是非一度じっくりお話を聞きたい!と思って、アプローチをして実現した面会。嫁と一緒にお会いしてきました。

ご挨拶をしてから、彼女が開口一番言ったのは

「ビジネスでやるなら、私の話は全く参考にならないわよ」

もちろん彼女は経営者だから、ビジネス面もきちんと考えているとは思うが、彼女は「宿業」が目的ではなく、理念の実現がまずありきなのです。

その理念とは、「ちょっと前の日本の暮らし」の実現。

ロハスとか、エコとか、オーガニックとか…。彼女の口から、そんな横文字は出てこない。

「横文字使うから、わけ分かんないのよ。」

サバサバ、ちゃきちゃきとした口調がとても心地よい。彼女はまず、ご自分の暮らしから徹底しています。シャンプーは使わない、電子レンジを使わない、添加物や、化学調味料は使わない。テレビは見ない…。そして、自宅の掃除、洗濯、炊事。

3つもの宿を経営していて、取材もひっきりなしで、さらに築地で朝市のプロデュースなどで、多忙を極める生活でも、絶対に手を抜かない。中川さんいわく、

「自分の身近な生活をちゃんとできない人に、他人の世話などできるわけがないのよ」

(う...。耳が痛い)

その理念が、宿作りにおいても一貫しています。

●無農薬のい草を使った畳

●珪藻土を使った壁

●竹枠を使った障子

●オーガニックなお布団

●その日届いた無農薬野菜のお料理

●テレビは置かない。

●アメニティも置かない(これは頼めば用意してくれるが)

きちんと人の体にいい、「当たり前の物」を置き、(彼女は「こだわり」と呼ぶ事を嫌がります)無駄なもの、ゴミになるものは一切置かない。

それが「ちょっと前の日本の暮らし」。

宿の部屋の作りは、見た目には地味と言っていいと思います。上記の事だって、素人には言われないと分からない。でもそこには、見えないところにまで妥協しない、意志を確かに感じるのです。

そして、吉水がやはりすごいのは京都において、かなり後発なのに(上述したように開業から、まだ12年しか経っていない)、その波及力がすごいということだと思います。

今や彼女の元には、国内外から、取材や講演依頼がたえません。ちょっとネットを調べるだけで、たくさんのインタビューが出てくるし、テレビ東京の「ソロモン流」でも紹介されました。

海外のメディアでも絶賛されていて、某ランキングでは、リッツカールトンに次ぐ2位が吉水。そしてデンマークの宿泊施設向けの環境認証「グリーンキー」もアジアで第一号で取得。クチコミがクチコミを呼び、連日外国からの宿泊客が絶えないと言います。

さらにすごいのは、吉水は、京都の観光協会とか、お宿の組合とか、そういうものには加盟していないということ。京都という閉鎖的な地で、強い意志を貫く孤高の存在なのです(かっこいい...)。それでも、その明確で強い、ぶれない思想は伝わり、共感を得ていくのです。

具体的な開業の準備についても色々とアドバイスをもらいましたが、

「まずは夫婦間でよく話し合って、ぶれない明確なコンセプトをつくりなさい」

と再三アドバイス頂きました。

そして、最後に

「はっきり言ってお宿業でビジネスをしようと思うなら辞めた方がいいわよ。でも、毎日がこんなに楽しい事もないわよ。京都に土地があって家があるなら、お野菜を庭で育てて食べたらいいのよ。それってとても贅沢なこと。そんな暮らしも、2人で楽しみなさい!」

とても厳しく、でも愛に溢れたアドバイス。素晴らしい時間を頂きました。

この出会いに感謝したいと思います。

ダンナ

2010年7月27日火曜日

住むおうち

嫁です

暑いです  あんなに尊かった真冬の太陽が
おんなじ ものなのに 会いたくなくなる

太陽がいなくちゃ 生きてられないのに

10年間 オフィスでレディをしていましたが
退職しました 
そうです おうちにいる夏っていうのが
10年ぶりなのです 
しかし こうして 四季を感じられるのも
独立のひとつの醍醐味なのかな

会社にいるときには わからなかった驚くことが
たくさんあります 
それは 風鈴の音で涼しくなる自分のように
小さなことから

わたしの場合は お仕事って「プライベートを
楽しくさせるために お金をもらうこと」 だったけど
好きなことに夢を重ねて やりたいことが
どんどん ふくらんでいく 未来にわくわくし

みんなが仕事に一生懸命にむかっていた姿は
こういう気持ちだったのかぁと

社会にでて 10年目 だんなさんに出会ったことで
それに 気づき 実現へ向けて 走り出せている
現状に 感謝 です

決まったことがあります 住むおうちです
というかやはり現実的に 考えても
自然とこうなるのですが

住むおうちは 嵯峨野の1軒家 
そう この間取りのおうち

こんなふうに 公開しちゃって やや恥ずかしいことに
なってしまいましたが 

ひとまず ここを住居にし 落ち着いた上で

だんなさんも書いていましたが
いま 空き家になっている 西大路御池の家で
事業をしていこうと いうことになりました

そして だんなさんのご両親も 
現在 むだになってしまっている スペースなので
すきにしてよいよと 心広い 了承を得ることが
できたので まずは 専念して 御池の空き家のことを
考えることに しました



 
  

2010年7月12日月曜日

またちゃんと再開します(汗)!

ダンナです。

どんだけ時間たってんだと、前回の更新から(汗)。仕事がだいぶバタついていたというのもありますが、何というか色々悩んでしまったということもあり...。嫁からも「中途半端なことやるんだったら、やらない方がいい」とズバッと切られ...。ズルズルとしてしまったら、2ヶ月半も経ってしまいました...。むむー。

だぁぁぁーーーー、

もー...

ちゃんと書くぞーーーーー!

カッコつけようとし過ぎなんだよ、おれ...。きちんと考えが、まとまってからじゃないと書いちゃいけない気が...。そもそもまっすぐ進むわけないんだし...。ってことで、迷っていることも、グジュグジュしていることも含め、全部公開する!

そう思ったら気が楽になったので、また再開しようと思います(笑)。どうしようもないやつだなぁと思いながらも、温かい目で見守ってやってください<O>

嫁が前回書きましたように、嵯峨野に加えてもう1軒。御池に土地と家があります(烏丸御池ではなく、西大路御池)。ただし今のところ、超ボロ屋...。こちらも宮大工の先祖が残してくれた大切な資産なのですが、今のところうまく活用されていません。

嵯峨野も考えつつ、こちらをどう活用するか?

1棟貸しにするのか?ゲストハウスをつくるのか?そもそも嵯峨野と両方やるのか?どちらかで集中してやるのか?私たち夫婦はどこに住むのか? (そのあたりも悩みの種なのですが)

そのあたりもじっくり考えたいと思っています。

せっかくなので内部の写真をちょっと公開。




2010年6月14日月曜日

西大路御池

ひじょうに ごぶさたです

だんなさんのばんなので まっていましたが
忙しいのも あるのはもちろんなのですが

いろいろ妄想中らしくで さきにかいてほしいと いわれ

でも~ と思って まっていましたが どうやら 
だめっぽいので 嫁です


じつは なぜ 妄想中なのかというと
先月京都へ いったとき

嵯峨野とはべつに 烏丸御池駅のちかくにも
家があり ここ何年も ひとは住んでいない場所で

そこを みにいってきました

駅も24時間営業の スーパーも近く立地は抜群

築はそうとうたっていて ひともすんでいないので
中はたいへんなことに なっていますが

町家といってよいのかはわからないのですが
2階だての 長細いつくりで おだいどころは 昔ながら
端っこに 長ほそーく つっかけサンダルでも履いてするような
つくり 階段は忍者屋敷にでもありそうな 急階段

お部屋は 1階も2階も何部屋か 和室がつらなっている

嵯峨野で宿をやるのも いいのだが
そもそも 空き家である ここで 何かできるのではないか・・

1軒まるがし・・ゲストハウス・・大学生などむけにセミナーハウス・・・
などなど

写真ものせたいところなのですが だんなさんのパソコンにあるので
こんど 添付してもらいます

2010年4月25日日曜日

わたしたちと京都

嫁です


一緒に初めて 行った国内旅行は 京都


初めて だんなさんにお弁当をつくったのは 京都


初めて 将来お嫁さんになってほしいと言ってくれたのも 京都


初めて けんかしたのも 京都


その後 数回 京都へは足を運びましたが

初めての 京都へいったとき まさか 将来自分が 移り住むことになるとは まったく 思いもしませんでした


清水寺の出世大黒天 で その当時恋人だっただんなさんの 後ろで「このひとの人生がこのひとの願いとおりに成功しますように」と一生懸命 祈ってたのを よく覚えてる


それがいまは この魅力的な 京都でだんなさんの 目指すものを一緒に 模索しつつ することになるとは・・


ついつい 小さいことで くよくよしたり 前に すすめなくなってしまったり 無理したり 素直になれなかったり しちゃうこともあるけれど


いつでも 原点にもどって 大切なものを 大切にしようと やっぱり  思うし いつでも そこにもどりたい


だんなさんは血の運命って言っていて なるほど~と思ったけど

わたしにとっては  だんなさんそのものが運命で わたしは なんにもできないよ けど だんなさんの そばに居ることは できる それは わたしにしかできないんだって

そう、 思う


早く 京都へ行きたいな 

2010年4月16日金曜日

シンボルのマネジメント

ダンナです。

リクルート出身で、「よのなか科」を学校教育に導入されたことで有名な、藤原和博さんが、提唱されている考え方です。僕の解釈も含めて、それが何なのかを一言で言うとすれば、

●シンボルのマネジメント= 目指すゴールへ瞬時に近づく「一撃必殺の施策

という感じでしょうか。100発の施策を乱射するより効果的な1発。ツボをついた、シンボリックな施策。

藤原さんの場合は、初めての民間出身の学校長に就任されたときに「開かれた中学校」というのを内外に一気に知らしめるために、全校集会で「今日から校長室を開放します。おもしろい本を置いておくので是非遊びに来てください」ということをして、学校教育に風穴を開けたわけです。

僕はこの宿作りでもこの、「シンボルのマネジメント」をしないといけないなと思っています。京都というブランドだけにおんぶに抱っこになるのではなく、また友人達との関係性に頼るのではなく、

わざわざ遠出して泊まりたくなるような、この宿だけの価値。メディアが取り上げたくなるような、この宿だけのオリジナリティ

ズバッとした切り口さえできれば、宿としての成功は必然的についてくると思うのです。そのツボが何なのか。どういう考えを骨にして、肉付けをどうしようかを悶々と悩んでいます(大きな方針としては、「1日1組限定」というところだけは決めているのですが)

ソフト面、ハード面。それぞれでシンボリックな施策が必要になってくるでしょうね。

ハード面で言うと、「蔵」をどう活用するか?というのが1つ見せ所になるかなとは思っています。(3月13日の記事でちょっと書いた「開かずの蔵」笑)。僕の父などは「宿泊者のためのバーを作ろう!」と盛り上がっています(笑)。ちなみに上記の画像は、実際の蔵の図面です。

もちろんバーを作るのはやりたいと思うのだけど、蔵の特性をうまく活かしたいなと。蔵というのは何かこう、現代と過去をつなぐ、タイムトンネルのような空間な気がするのです。(重厚な扉とかがあるし…)蔵の扉を開ける瞬間から、そういうドキドキ感を提供できる空間が作れると面白いなぁと漠然と思っています。

次回以降、もうちょっと広い視点に立って、そもそも宿として、どういうコンセプトに設定するか??どんなサービスを提供するか?ということを、迷いながら、蛇行しながら(笑)書こうと思います。

ダンナ

2010年4月6日火曜日

まず きめたこと 

嫁です

先週末 友人からお誘いを頂き 伊勢神宮へ
いってきました
関西方面とほぼ 縁がなかったわたしにとって
最初は 外国へいくような気持ちでもありましたが
最近は とても身近に思えるようになってきて
うれしいかぎりです
来年からの生活が より想像できるようになりました

そして お宿のことですが

こうして だんなさんと ブログ書いたり
まいにち たくさんお話する中で

自然と きまってきていることが
じつは なんこか もうあります

その中から ひとつ

やはり「1日ひと組」のお客様を
お迎えしようと きめました

とはいっても 時期や要望があったり
外国の方々のドミトリーや 学生さんたちの集う場所

など 臨機応変には対応したいのはもちろんですので

基本を 「1日ひと組」にして また スペース的な理由もあり
そうしたいと 思います

蔵もあったり お庭も ありますので
同じ志をもつ若者や 何かしらのご縁がある方々同士の
あえる場所 というのは
宿とは別に 何か できるのではないかなぁなんて
思います

その日その日に来て頂いたお客様に合わせた
お宿

前回も書きましたが
何ができるかという 具体的なことは
これから 考えるとして

お客様の夢を叶えるお宿

やはり これを 1日ひと組にさせていただいて
お客様にあった おもてなしを していきたいなぁ

2010年3月30日火曜日

断崖絶壁のホテル




ダンナです。

久々のブログアップです...(汗)。前回、嵯峨野の家にある「蔵」の話を書くと言いましたが、嫁にかぶせて、今回行った新婚旅行の話をもう少し書こうと思います。
嫁が書いた「ベヘール」という街を去ったあとは、同じくスペイン・アンダルシアにある「ロンダ」へバスで移動。
そして泊まったホテルがここ!
断崖絶壁のホテル、「パラドール・デ・ロンダ」。歴史的建造物と、ダイナミックな景色!写真だと、このすごさが全然表現しきれていないのが悔しい...。
サービスも、アメニティも、食事も(朝食しか食べてないが)、大満足の素晴らしいホテルでした。
ちなみにパラドールというのはスペインの国営ホテルのこと。
お城や、修道院、貴族の館といった文化財を国で買い取り(もしくは借りて)、一流ホテルとして再生させています。スペイン全土で93カ所あるそうで、建物や土地によって特徴が異なり、その違いを楽しむのも魅力のひとつだそうです。
ちなみにここパラドール・デ・ロンダは1761年に建てられた、かつての市庁舎を改装したホテル。
こうした古い建物をホテルとして甦らせるのは、街にとっても、お客さんにとってもいいことづくめで...

------------------------------------------------------------------------
1 宿泊客にとっては...
   →スペインの土地ごとの歴史や文化を直に体感できる
2 街にとっては...
   →観光客を呼び込む目玉になる
   →歴史的な建造物の保存のために必要なお金を生み出す
------------------------------------------------------------------------

観光地と観光客との間でいい循環が生まれているのですね。

京都で町家を利用したゲストハウスや、旅館もまさに同じ構造で機能しているのだと思います。
ちなみに嵯峨野の家はいわゆる京都らしい町家の家ではないのですが、回り廊下があったり、床の間があったり、蔵があったり...。いわゆる「昔の日本」らしいつくりにはなっています。
全く新しく建て直すということではなく、おばあちゃんが遺してくれたこの遺産を、建物として大切に使って、お客さんにとっても京都らしさ、日本らしさを感じられるリフォームをしようと思っています
(とは言え、「ザ・京都」なつくりでもないので、ハード面でどうやって特徴つけるかは考えどころですね...。「和室にこのアイテムかぁ!」という斬新な見せ方にはしたいとは思っていますが...。その話はまた追々書きます)
※次回こそ蔵の話を書こうと思います。

ダンナ

2010年3月24日水曜日

わたしの5つ星

嫁です

ただいまです

リュックサックひとつの ゆるり旅から 帰国しました

今回の旅は ポルトガルと南スペインの辺鄙な場所にある村を
てんてんと してきました 

ときには 山道を登って やっとのおもいで村についたり
ときには バスをいくつも のりついで 不安になりながら村についたり
断崖絶壁のホテルに泊まったり 
闘牛場のど真ん中に 立ってみたり
FIGAROの表紙をかざった 同じ場所を 探し求めていってみたり
初めて出会った 第一村人が 物乞いだったり 泣
そしてそして 最後は飛行機に乗れないという
大トラブルに巻き込まれながらも 

だんなさんと
他ではない 貴重な体験を たくさんできました

どれもこれも だんなさんが居てくれるおかげです

FIGAROの表紙を飾った 村の名前は
「ベヘール デ ラ フロンテーラ」

この写真の村です これはだんなさんが撮ったもの

犯罪という言葉などとは ほど遠いこの村では
唯一 2つ星のホテルに宿泊しました

わたしはとんでもなく 臆病なので
何度も海外は経験がありますが 安全なホテルは
必須なんです・・・ だんなさんは 道でも寝れるそうですが 笑

2つ星と聞くだけで なんだか強盗に襲われるのではないかなんて
ついつい 想像がふくらんでしまいますが

世界でよくきく 星の数の基準というのは 
何なのでしょうか

そもそも そんな私がなぜここだけ2つ星ホテルでも
よいかと思えたかというと

もともと治安がよい村ということは 記事から予想できたことと
テラスからの景色が絶景だということと
FIGAROの表紙そのものが こちらのホテルの中だったということ

などありますが 本当に本当にすてきなホテルでした

ホテルといっても数部屋しかなく 日本ではペンションといった感じで

この村の情報はほとんど 日本では得ることはできず
けっこう チャレンジでもあったのですが 

お部屋は清潔で 一部洞窟の雰囲気もあったり
トイレもバスも広く アメニティはすべてそろっていて
何も文句のつけようがありません
朝ご飯も 種類も多く とてもおいしかったです

なぜ 2つ星なのでしょう・・・

たしかに お部屋の鍵は最新のカードタイプではなく
むかし 宝箱をあけるような 鍵

夜中はホテルの方はおそらく 自分の家に
帰っていたりと そういう点なのかなぁと
思いましたが

このあたりの村では ワン ツー スリーの英語も通じない人が
ほとんどですが そんなことは関係なく ホテルの方も どの村人も
いい人ばっかりでした

星は人柄でつけてほしいものです

私はもともと英語が苦手ですが 
日本語と各地の言葉で コミュニケーションは
ばっちりできました

言葉がわからなくても 熱意で会話。

そういうのって 旅の醍醐味

だんなさんは むしろ英語ができるので
わたしのほうが 世界中どこでも 生きていけると
なんだか 変に 関心していましたが 苦笑

わたしたちの宿でも そんな醍醐味を感じてほしい

そして 泊まって頂ける方々にとっての

安心な宿 そんなふうにしていきたい


そうだ

あなたにとっての5つ星

こんな コンセプトもあって よいかもしれない

2010年3月13日土曜日

「血の運命」だったとは...


ダンナです。
今日は僕の血の話。
上の画像は僕の家の家紋「丸に三階菱」です。
私の祖先は実は京都の宮大工の棟梁でした。その縁あって嵯峨野に土地があります。
自分にとっては昔から聞かされていた当たり前の事実だったのですが、本日、その話をある方にしたら、その方はかなりビックリされたようでした。

宮大工というのはスピリチュアル的にも、本当に限られた選ばれた人しかなることができないということ(神社仏閣という神聖なものを扱うという意味でも)
しかも数々の歴史的建造物がある京都の宮大工であるということ...
しかも、しかもその棟梁であるということ...
それは実は、本当にすごい先祖なんじゃないか?と
そして僕自身が自然と、そこに引き寄せられて京都に移住するようになったんじゃないの?

こうおっしゃたのです。

僕は全然そんなつもりがなかったので、ビックリしたのですが、それと同時に、何かこう、カツーンと腑に落ちたものがありました。

私の祖母には1人お兄さんがいました。
その人が実は血を継ぐ最後の「宮大工の棟梁」でした。残念ながら彼はビルマの戦争で戦死。祖母が必死になってその血を絶やさんがために動いたそうです。

そういえばおばあちゃんは昔から、やたらと、この血を大切に守ろうとしていました。
「絶対に土地だけは手放さんといてな。おばあちゃん、化けて出るさかいな」
と冗談まじりに、でもかなり本気に言ってたことを思い出しました。

そう。僕はこの血を受け継ぐ最後の直系の子孫なのです。

もうおばあちゃんも10何年も前になくなっていまして、おばあちゃんが言ってたことなどすっかり忘れていましたし、私自身は京都に一度も住んだこともなくて、まさか自分が京都に住むなんて考えたこともなかったのですが、こうしてひょんなことから京都に住むことになったことは、

亡くなった祖母や、宮大工の棟梁の血が、僕を京都という地に引き寄せたのたのでしょう。自分で意思決定したつもりですが、今はそんな強い運命的な何かを、感じています。かなりドキドキしています。

そこにはどういうメッセージがあるのか?

それを知るためにも、俄然、自分のルーツをもっと深く知りたくなってきたわけですが、(どんな神社、仏閣をてがけたのか?とかも知りたいし...)

残念ながら、家系図など血のルーツを知るには、嵯峨野の蔵に入っていて、現在は人にお貸しているので見ることができません...。

嵯峨野に越したら、パンドラの箱であるその蔵を開けて、家系図を引っ張り出して自分のルーツを探っていこうと思います。これも僕にとってひとつ大きなテーマになってきました。

何だか宿作りのお話が、ドラマティックな物語になっていきそうな予感(笑)。ドキドキ。

ということで、次回は「蔵」をどう活用したいか?のことを書こうかと思います。

PS:3/13〜3/22まで嫁と一緒に新婚旅行に行ってまいります!しばらく更新が止まりますが、また是非ご訪問くださーい。

2010年3月11日木曜日

おばあちゃんのおまじない

嫁です

前回 なぜ宿なのかを 書こうと宣言しましたが
気分が 変わりましたので やめます 笑

そうです わたしは スーパー気分屋かな(^-^)

変わらないのは 何があってもだんなさんのそばに
いるってことくらいでしょうか・・

2カ月ほど前 小さい頃から たくさんわがままを 
聞いてくれた 祖母が亡くなりました 享年81歳

それは 私たちの 結婚式の5日前のことでした

癌が宣告され 手のほどこしようがない事実
それでも 当初の余命では 今年の春くらいまでは
元気。。のはずでした 

一時入院を乗り越え 去年の暮くらいまでは 
本当に病気なのかなって
このまま治るのかなって 思うくらい元気で
お医者さんの言葉も信じられないくらいだったのですが

今年に入り 急に容態が変わりました
余命2週間と両親は言われていたそうです

2週間というのは ちょうど 私たちの結婚式の日

両親は 私に余計な心配はさせまいと
それは秘密にしていたようです

結婚式に出席することを 糧にがんばっていた祖母 
そして その夢が叶いそうにないことを 
なんとなくわかっていた祖母

結婚式の10日ほど前 お見舞いに行った際

病床でやっとの思いで呼吸をしていた祖母
でるかでないかわからないような かぼそい声で
「ぉめぇでぇとぅ・・・・」といいながら その手から
しっかりと渡してくれた ご祝儀袋

当日に持っていくことが 不可能だということを伝える 
悲しいその顔

前撮りの花嫁姿の写真を見せたときの うっすら笑顔

そして これまではとくに大きな病気もせず 最期もくるしまず
ゆっくりと幕をおろした81年の人生

今は私も気持ちの整理がついていますので
こんなふうに書けますが

祖母は 幸せに人生を生き抜いたと思うんです

先日 49日の法要で祖母の家に行きました
そこのトイレのちょうど座った目の位置に
こんな小さな 祖母の手書きの張り紙を発見しました

【オンー黒田のうんぢやく 3回】

何を意味するのかは 想像にお任せします 笑
家族も親戚も誰ひとり 祖母が言いたかったことの
本当の意味はわかりません

祖母は京都が大好きで 毎年春には
欠かさず行っていました

幸せに生きた証をみせてくれた、そんなふうに
感じることのできる この不思議なおまじない

京都で宿をはじめたら トイレに張り紙するんだ、絶対。

来てくれたひとが 幸せになるような気がするよ 

ありがとうね おばあちゃん

2010年3月8日月曜日

京都のお宿を学ぶ2 〜Guest House Project


ダンナです。
京都には町家を改装した「ゲストハウス」という形態のお宿が多いです。
ゲストハウスは簡単に言うと

1 食事なしの素泊まり
2 個室もあるが、ドミトリー中心
3 2000円台から泊まれる安価な価格設定

というのが特徴で、特に京都の場合は町家を改装したものも多く、

外国からのお客様や、長期滞在するお客様に、
気軽に京都の暮らしを味わえる

ということで、支持されているようですね
(京都ではますますその数も増えているみたい)。

そんな中、こんなサイトを発見!
これはかなり役立つなぁ!

★Guest House Project

「和楽庵」というゲストハウスの女将さんを中心に、いろんなゲストハウスの経営者がノウハウや体験談など発信されています。次にゲストハウスを開業したい方に、こういうことを発信できるというのは太っ腹な証拠ですね...。すばらしいと思います。

特に「和楽庵」の物件探しから、立ち上げにいたるまでの日記は面白い。これはちょっと嫁にも共有しとこう。ということで、読んでおいてください、嫁(笑)。

京都に行った際には、是非和楽庵の女将にもお会いして、お話お伺いしたいものです。

ダンナ

2010年3月5日金曜日

だんなさんの独立

嫁です

時間とお金に 余裕がないとなかなか 
他のことに 集中できなくなり 毎日が 
たのしく過ごせなくなってしまうので

わたしは ずーっと余裕を持つことを 意識してきました

仕事は17時半で帰ります
予定も 詰め込みません
手帳も 持ち歩きません
 
けど かといって 仕事が嫌いなわけではありません
職種柄 みんなに あれやってーこれやってー
どうすればいいのー?時間がないんだ、よろしくっなど
お願いされると ドMの私的には うれしくてたまりません 
たいしたことでは ないのだけれど
自分の存在意味などを 見出すことができ
ここに いていいんだ、と思うことができるのです
家庭でもそうです 笑

だんなさんは 出会ったころ 
分刻みのスケジュールで 行動していました
そして 彼の夢や 独立願望が強いということや
自然の中で生きていきたいという 話しを聞き

それでも 忙しい毎日に追われている彼に
正直 不思議なひとだなぁと 思った記憶があります 笑
そんな生活で 身体を壊してしまってよいの?って
本気で 心配でした

徹夜で仕事も普通でしたから・・・

しかし そのころは(たぶんいまも) 
仕事で追われる毎日からも学ぶことが
たくさんあるのだろうし 仕事も好きなようなので

わたしは だんなさんにいつ 独立にむけて動きだすのかや
聞いたり せかしたことは 一切ありません

信じてますから。。どんなことを選んでも選ばなくても

わたしは だんなさんには とにかく好きなことを して
だんなさんの人生を 生き抜いてほしいのです


いまは昔に比べると 本当に早く帰ってきます
毎日 一緒に食事をすることができます
一緒にすきなことをする時間があります 
だんなさん自身の 身体も大切にしてくれます 
うれしいです 

まあ 自分だったら さっさと仕事をやめて
独立してますね きっと 笑 願望がないのでしないですが
直感で いきてますので わたしは 笑

好きなものは好き 嫌なものは嫌
社交辞令こそ 信じられない 
次回 会えなさそうな方には「またね、」なんて
決して 言わない そんな子供のような性格なので・・ 苦笑

だんなさんは ほんきですごいなぁって思います 
 
新たに 動き出した
だんなさんの 人生

なぜ 宿なのか・・・?

わたしからみた その訳を 
次回は書こうと おもいます

2010年3月2日火曜日

なんで宿...なんだっけ?




ダンナです。そういえば「なぜ京都?」は書きましたが、「なぜ宿?」は書かなかいまま、宿をやる前提で話を進めていますね…。

うちの嫁は「思想」とか「思い」といった根っこからちゃんと入る人ですが、僕はどうも場所とか、内装とかそういう「形」とか「枠組み」から入りがちなんだよなぁ…。

うー..、まぁ、うまく役割分担されているということだとは思うとして…。

自分の頭の整理の意味でも「なぜ宿?」を書いておこうと思います。

まず前提として、僕の中で「宿」というのは、「人」や「文化」が新たな出会いと、核融合を繰り返す装置である(というかそうしたい?)という基本スタンスがあります。

★1 大切な人を生涯お迎えできる場をつくりたい
嫁も書いていましたが、ありがたいことに我が家は月に2~3回は誰かが遊びに来てくれます。人の家に遊びにいくというのは気を使うものだと思うのだけど、それでも気軽に来てくれるというのは本当に、本当にありがたいことだと思うのです。実際、その時間はかけがえがないほど大切で、楽しい時間で、そんな人たちとの関係を生涯にわたって大切にし、いつでもフラッとこれるような場をつくりたい。そんな風に思っています。

★2 一期一会を楽しむ場をつくりたい
宿での出会いこそ「一期一会」だと思うのです。毎日新たな出会いがあり、そして別れがある。それが延々と繰り返されていく。一日一日をしっかり噛み締める様に生き、新たな人との出会いを楽しむ。そして、目の前にいる方に、おもてなしをしたい。そんな気持ちがあります。

★3 知らなかった価値観に、クリエイターとして刺激され続けたい
僕は仕事でもプライベートでもゼロから何かを生み出して、形にしていくプロセスが大好きです。これがないと体が疼くというか(笑)、生涯モノを作り続けたいなぁと思うのです(このブログもクリエイティブのプロセス)。
そして僕が好きなモノづくりのスタイルは、全く別の価値観を持った人や、違う土俵にいる人同士が集まって、相互に刺激しあいながら作っていくというスタイルなのです。
数年前に上の画像のようなマインドマップを書いて、仲間と一緒に色々実験的で、面白いと思えるような活動をしていた時期がありましたが、今も根底に流れる気持ちは同じです。

特に今は興味があるのが京都という伝統と文化の地で、新たな風を吹かせている同世代の人。伝統や文化というのは常に革新の連続で強くなっていくと思うのですが、京都という地でそれをしているような、そんな方々と出会い、何かを作り上げるような場を作りたいと考えています。
そして広くは京都、嵐山、嵯峨野という地の「街づくり」につながるような、その一翼を担いたいという気持ちがあります。

うーん…。大分長いなぁ…。
もし最後まで読んでいただいた方がいらっしゃったら本当にありがとうございます(笑)

ダンナ

2010年2月26日金曜日

わが家へようこそ

嫁です

わたしたちの おうちには 
よく友達があそびにきてくれます

二人で住むのには ぎりぎりの広さ
築もそうとうたっていて
友達が快適にすごせるかっていったら 
正直 よくわかりません

けど みんな きっと気にいってくれるから
何回もきてくれるのかなぁ
うれしいかぎりです

この間の水曜も ふたりにとってとても親しい 
友人Y君とMさんが あそびにきてくれました
Mさんは 料理がとてもお上手かつわたしにとっては 
素直になんでも話せる大切な友人でもあり 
ということは・・・・つまり 彼女がうちにきてくれるときは
いつも料理を一緒にしてもらえるのです(甘)

その周りを Y君はひたすら 立って待ってるのですが 笑
それもうれしいです 家族みたいで


だいたい 通常友人がきてくれるときはわたしひとりで 
すべての料理の準備をします
わたしたちでできるかぎりの「おもてなし」目指して

用意周到な性格だからか よいかわるいかわかりませんが
1週間くらい前から 準備ははじまります
友人にあった メニューやお酒を決めて
材料入手はいちばん 安くておいしいところお店を
頭の中でぐるぐる考え
3日前くらいから 買い物をしてまわります

わたしは すきだから めちゃめちゃたのしい!
けど
これからは 来て頂いた友人のみんなに
感想もらおうかなぁ 
友人だからこそいえる正直な感想
 
そうだ(^o^) 台帳にしよう

でも 家族みたいに みんなでわいわい作るっていうのも
他には ない価値があるよなぁ

2010年2月24日水曜日

京都のお宿を学ぶ1〜prinz


ダンナです。
まぁ、移住までは時間があるようで、ないようで、あるので(どっち...?)、
今の段階はあらゆる「宿のありかた」に可能性を広げておこうと思います。

そのためにもまずは宿を知らないとね、ってことで京都の宿を中心に
スタディしていこうと思います。

現在、京都でホテルを開発中の友人、T君に教えてもらったprinz。
Apartotel(Apart & Hotel)という形態らしいです。

「住むように泊まる」という解釈でいいのかな。

1 民家の中の「オシャレな家」といった外観(部屋も2室のみで住居規模)
2 キッチンがついていて料理ができる
3 長くいても居心地がいい「ナチュラル」なインテリア・アメニティ・食事
3 キングサイズ2つ分の大きなベッド(1度に6人も横になれる!)
4 複数人で泊まればお値段もお手頃。ちょっと長めの滞在にも向いている。

うん。Apartotelというコンセプトはステキだなぁ。
長く泊まりたくなるし、何度もリピートしたくなる。

そして、prinzがステキだなぁと思ったのは、カフェ・レストラン、
ギャラリー、書店などがある複合施設であること。イベントなんかも
やっていて、宿泊客以外にも人が集まる仕組みがあるわけですね。

人も、お金も、情報も、常に循環しているのがいい場所だなぁと思いますが、
この規模感でそれを実現しているなぁと。僕らの宿もこの規模感なので、
あり方として、参考になりそうです。

一度行ってみないとですね。

-----------------------------
【僕らの宿づくりに活かせそうなポイント】
1 「住むように泊まる」Apartotelというコンセプト。
  →長期滞在、リピートしてもらう仕組みとしてのあり方。

2 泊まる場所としてだけじゃなく、カフェ、ギャラリーなど
  人が集まる仕組みがあること
-----------------------------

ダンナ

2010年2月22日月曜日

親戚のようになりたい

嫁です

前にも書きましたが わたしは東京生まれ東京育ち
親戚も 職業柄 空港のそばに
住まなければならない叔母一家を
除いては 全員地元に住んでいます

ほとんどが同じ市のひとと結婚し 
その土地にそのまま住み
家族や土地を 守りながら 子孫を繁栄しています

親戚が近くにいるということは さみしくもなく 
うれしいことなのですが

・・・そうです わたしには
田舎というものがないのです

小さいころ お休みには 田舎へ帰るといっている
友人が うらやましいと思っていましたが

そのかわりなのか
父は家族を連れて毎週のように
夏は海 冬はスキーなど旅行に 行ってくれたのです

父は各土地に お気にいりのお宿があり
ほぼほぼ 同じお宿へ泊まります

姉もわたしも 小さいながら お宿のひとたちを
親戚のように思っていました

結婚したいま だんなさんもぜひ
連れて行ってあげたいなと 思うほど
思い出が たっぷり 詰まっています

子供をいつか 授かれば やっぱり
連れていってあげていなって 思います

京都では
そんなふうに 思ってくれるひとがいてくれる
宿にしたいなぁ

みんなの親戚みたいに なりたいなぁ

2010年2月19日金曜日

部屋の様子を一部公開!



ダンナです。

結構、たくさんの方に読んでいただいていて、嬉しいです。発信すると情報とかって集まってくるものですね...。このライブ感、一緒に作っていく感は楽しいです!

さて、「図面じゃイマイチわかんねぇよ」という方もいらっしゃると思うので、部屋の様子を一部公開。今から10年以上前の写真ですが、まぁ、今もこんな感じでしょう。

1枚目: 床の間。お茶とかもできるような作りになっているらしい。
2枚目: エンガワですね。サザエさん家っぽいでしょ(笑)?

コンセプトも、ターゲットも、価格帯もまだ見えていないのに、内装の話をするのも何ですが...。

なるべくお金はかけずに。でもキラリとセンスを感じるようなインテリアにしたいなぁと思っています。和の要素は活かしつつ、北欧テイストをいれるとか、モダンアジアン的な感じとか?まぁ、よくあるか...。

オリジナリティは出したいですね。

どなたか面白がって、一緒に作ってくれる、インテリアデザイナーとか、建築家、いないかしら...。是非ご紹介ください。大募集します(笑)。

ダンナ

2010年2月18日木曜日

いまのいまできること

嫁です

実家をでて
だんなさんと 一緒に暮らすようになってから
あきらかに成長したと 思われるのが
料理

いまでは 好きなこと 料理っていってしまう
くらい だいすきです

食べたいといって くれるひと
おいしいといって くれるひとが
いてくれることが ほんとうに大きい成長に
つながったのだと こころから 感謝しています

もともと わたしがお肉などはあまり
すきではなく 大豆とお野菜たっぷりなものが
好きなので ヘルシーかつ量はあり 
だんなさんもわたしも お酒が好きなので
お酒がすすむような おいしいものを 
考えて 日々 楽しんでいる 
といった日常です

そして それも 京都でいかしていくには・・

正直 どんなスタイルのお宿でも
夕食は お出しするのは 少し考えています
なぜなら 京都には 京都ならではの
おいしいお店が 本当にたくさんありますので
むしろ そういったところを ご紹介を
していき 京都の地域発展につながってほしく
それは本当に 京都へ移住する もうひとつの
目的でもあります

そしたら おいしい京料理で 満足された
お客様 お宿に帰り ちょっと飲み足りないな
なんて いう方に ちょこっと向けに
作ろうかな なんて 料理のことでは
どんどん ふくらんでいくぅ 笑

あ そだ ダイエット道場みないなものもよいかも
たのしくおいしく 無理せず 健康にやせましょう
みたいな 最高に楽しいダイエット宿

ちなみにだんなさんは 3ヵ月で10キロを超える
ダイエットに楽しみながら 成功 
方法は 本人の意志と努力と食事ですね 
誰かが居てくれると きっとできるのかもしれません

けど 京都 関係ないかぁ 苦笑


これからは 京都でのことも考えながら
もっともっと 料理の研究に励みたいと思います

2010年2月17日水曜日

嵯峨野の家




さて。どんな家なのか?をイメージしてもらうために、図面を公開しちゃいます!

僕は小さい頃からこの家に行くと「サザエさん家」って呼んでました。
木造の平屋。床の間があって、縁側があってって...。

実際宿っぽいですよ。

あ。あと建坪は150くらい。それと特徴的なこととして、蔵があります。京都っぽい。

図面上の右側にある、客間(洋室)、客間(和室)ってとこが、客間になるんでしょうね。
1日1組限定?もしくはゲストハウス的に雑魚寝方式?

蔵も何か利用方法があるか?

などなど...。これからじっくり考えよましょうかね...。

ダンナ

2010年2月16日火曜日

「わたし」というひと

嫁です 
わたしがだんなさんと 出逢った日

その日から わたしは 
わたし自身の描いていた夢
まだ ぼんやりとしていた夢 
自分にははっきりとした夢があったということ
わたしが 何のために生きてきたかという その理由
このように育ててくてた 両親への深い感謝

その 事実と答えに 気づくことになります

わたしは東京生まれ東京育ち
ですが都心からは1時間以上かかるという 
緑あふれる東京で
結婚するまで 住んでいました
結婚する直前の数年間は
一生を通して 両親と一緒に暮らすことは
もう いましかないのかもしれないな と
大切に毎日を すごしていたように
いまになり そんなふうに 振り返ります

そして 決まった 京都への移住

言葉 文化 の違い
親戚も知り合いもいない土地
不安なことは いっぱいだけれど

わたしの夢

それは だいすきなひとの力になること
だいすきなひとのやりたいことを一緒に実現させること
そして 他のひと様ありきの わたしの人生だということを
一歩一歩かみしめて 自分の人生を歩んでいくこと

いまやっと 

あらためて わたしの人生が始まりました


だから 京都へいくんです、京都で宿をやりたいんです

みなさま これから どうぞ よろしくおねがいいたします

2010年2月12日金曜日

そうだ 京都、行こう。


今日からスタートいたします「京都で宿をやるんです」。ブログなるものも初めて書くので、いささか緊張しております...。えー。ダンナの方でございます。嫁と交互にこのブログを書いていこうと思っております。よろしくお願いします。

今は東京の会社でサラリーマンをしているのですが、今年の末か、来年の頭に会社を辞めて京都へ移住しようと思っております。

ここ数年自分の中で「独立したい!」という気持ちがムクムクと大きくなっていきました。10年間同じ会社で仕事をしてきましたが、自分がこれから定年まで人に養われて暮らしていくというのがどうも想像できない、というか耐えられそうもない...。出世欲とかゼロだし…。リスクを冒してでも、やりたい領域で起業し、発信して、自分の力で稼いで暮らしていきたい。そんな気持ちがどんどん強くなっていきました。

そしてもうひとつの気持ちとして「自然や文化と触れて暮らしたい」という気持ちがありました。

ということで、はじめは妻と一緒に「長野ででも家探すかぁ」なんて思っていたのですが、ある時、はっと気づいてしまったのです。「そうだ 京都、行こう。」

実は私、京都生まれなのでございます。両親ともに京都人。そして幸いなことに京都には、私の実家が持っている土地と家があったのです。場所は嵐山から歩いて10分の嵯峨野(写真は嵐山)。

家もあって、自然もあって、文化もあって...。こんないい場所があるのに見落としてなんて!これこそ灯台下暗し。思いついてすぐに両親に相談。かなりビックリされましたが、「分かった」と言ってもらえました。

現在は人様に別荘としてお貸ししているのですが、今年いっぱいで引き払っていただき、その後僕ら夫妻がそこに住むということで了承してもらいました。

当面は収入がゼロになると思うので、家賃も1年間は無料。ただし親子とは言え、2年目からはちゃんと家賃を払うということで合意をとりました。

ダンナ