2010年3月30日火曜日

断崖絶壁のホテル




ダンナです。

久々のブログアップです...(汗)。前回、嵯峨野の家にある「蔵」の話を書くと言いましたが、嫁にかぶせて、今回行った新婚旅行の話をもう少し書こうと思います。
嫁が書いた「ベヘール」という街を去ったあとは、同じくスペイン・アンダルシアにある「ロンダ」へバスで移動。
そして泊まったホテルがここ!
断崖絶壁のホテル、「パラドール・デ・ロンダ」。歴史的建造物と、ダイナミックな景色!写真だと、このすごさが全然表現しきれていないのが悔しい...。
サービスも、アメニティも、食事も(朝食しか食べてないが)、大満足の素晴らしいホテルでした。
ちなみにパラドールというのはスペインの国営ホテルのこと。
お城や、修道院、貴族の館といった文化財を国で買い取り(もしくは借りて)、一流ホテルとして再生させています。スペイン全土で93カ所あるそうで、建物や土地によって特徴が異なり、その違いを楽しむのも魅力のひとつだそうです。
ちなみにここパラドール・デ・ロンダは1761年に建てられた、かつての市庁舎を改装したホテル。
こうした古い建物をホテルとして甦らせるのは、街にとっても、お客さんにとってもいいことづくめで...

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1 宿泊客にとっては...
   →スペインの土地ごとの歴史や文化を直に体感できる
2 街にとっては...
   →観光客を呼び込む目玉になる
   →歴史的な建造物の保存のために必要なお金を生み出す
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観光地と観光客との間でいい循環が生まれているのですね。

京都で町家を利用したゲストハウスや、旅館もまさに同じ構造で機能しているのだと思います。
ちなみに嵯峨野の家はいわゆる京都らしい町家の家ではないのですが、回り廊下があったり、床の間があったり、蔵があったり...。いわゆる「昔の日本」らしいつくりにはなっています。
全く新しく建て直すということではなく、おばあちゃんが遺してくれたこの遺産を、建物として大切に使って、お客さんにとっても京都らしさ、日本らしさを感じられるリフォームをしようと思っています
(とは言え、「ザ・京都」なつくりでもないので、ハード面でどうやって特徴つけるかは考えどころですね...。「和室にこのアイテムかぁ!」という斬新な見せ方にはしたいとは思っていますが...。その話はまた追々書きます)
※次回こそ蔵の話を書こうと思います。

ダンナ

2010年3月24日水曜日

わたしの5つ星

嫁です

ただいまです

リュックサックひとつの ゆるり旅から 帰国しました

今回の旅は ポルトガルと南スペインの辺鄙な場所にある村を
てんてんと してきました 

ときには 山道を登って やっとのおもいで村についたり
ときには バスをいくつも のりついで 不安になりながら村についたり
断崖絶壁のホテルに泊まったり 
闘牛場のど真ん中に 立ってみたり
FIGAROの表紙をかざった 同じ場所を 探し求めていってみたり
初めて出会った 第一村人が 物乞いだったり 泣
そしてそして 最後は飛行機に乗れないという
大トラブルに巻き込まれながらも 

だんなさんと
他ではない 貴重な体験を たくさんできました

どれもこれも だんなさんが居てくれるおかげです

FIGAROの表紙を飾った 村の名前は
「ベヘール デ ラ フロンテーラ」

この写真の村です これはだんなさんが撮ったもの

犯罪という言葉などとは ほど遠いこの村では
唯一 2つ星のホテルに宿泊しました

わたしはとんでもなく 臆病なので
何度も海外は経験がありますが 安全なホテルは
必須なんです・・・ だんなさんは 道でも寝れるそうですが 笑

2つ星と聞くだけで なんだか強盗に襲われるのではないかなんて
ついつい 想像がふくらんでしまいますが

世界でよくきく 星の数の基準というのは 
何なのでしょうか

そもそも そんな私がなぜここだけ2つ星ホテルでも
よいかと思えたかというと

もともと治安がよい村ということは 記事から予想できたことと
テラスからの景色が絶景だということと
FIGAROの表紙そのものが こちらのホテルの中だったということ

などありますが 本当に本当にすてきなホテルでした

ホテルといっても数部屋しかなく 日本ではペンションといった感じで

この村の情報はほとんど 日本では得ることはできず
けっこう チャレンジでもあったのですが 

お部屋は清潔で 一部洞窟の雰囲気もあったり
トイレもバスも広く アメニティはすべてそろっていて
何も文句のつけようがありません
朝ご飯も 種類も多く とてもおいしかったです

なぜ 2つ星なのでしょう・・・

たしかに お部屋の鍵は最新のカードタイプではなく
むかし 宝箱をあけるような 鍵

夜中はホテルの方はおそらく 自分の家に
帰っていたりと そういう点なのかなぁと
思いましたが

このあたりの村では ワン ツー スリーの英語も通じない人が
ほとんどですが そんなことは関係なく ホテルの方も どの村人も
いい人ばっかりでした

星は人柄でつけてほしいものです

私はもともと英語が苦手ですが 
日本語と各地の言葉で コミュニケーションは
ばっちりできました

言葉がわからなくても 熱意で会話。

そういうのって 旅の醍醐味

だんなさんは むしろ英語ができるので
わたしのほうが 世界中どこでも 生きていけると
なんだか 変に 関心していましたが 苦笑

わたしたちの宿でも そんな醍醐味を感じてほしい

そして 泊まって頂ける方々にとっての

安心な宿 そんなふうにしていきたい


そうだ

あなたにとっての5つ星

こんな コンセプトもあって よいかもしれない

2010年3月13日土曜日

「血の運命」だったとは...


ダンナです。
今日は僕の血の話。
上の画像は僕の家の家紋「丸に三階菱」です。
私の祖先は実は京都の宮大工の棟梁でした。その縁あって嵯峨野に土地があります。
自分にとっては昔から聞かされていた当たり前の事実だったのですが、本日、その話をある方にしたら、その方はかなりビックリされたようでした。

宮大工というのはスピリチュアル的にも、本当に限られた選ばれた人しかなることができないということ(神社仏閣という神聖なものを扱うという意味でも)
しかも数々の歴史的建造物がある京都の宮大工であるということ...
しかも、しかもその棟梁であるということ...
それは実は、本当にすごい先祖なんじゃないか?と
そして僕自身が自然と、そこに引き寄せられて京都に移住するようになったんじゃないの?

こうおっしゃたのです。

僕は全然そんなつもりがなかったので、ビックリしたのですが、それと同時に、何かこう、カツーンと腑に落ちたものがありました。

私の祖母には1人お兄さんがいました。
その人が実は血を継ぐ最後の「宮大工の棟梁」でした。残念ながら彼はビルマの戦争で戦死。祖母が必死になってその血を絶やさんがために動いたそうです。

そういえばおばあちゃんは昔から、やたらと、この血を大切に守ろうとしていました。
「絶対に土地だけは手放さんといてな。おばあちゃん、化けて出るさかいな」
と冗談まじりに、でもかなり本気に言ってたことを思い出しました。

そう。僕はこの血を受け継ぐ最後の直系の子孫なのです。

もうおばあちゃんも10何年も前になくなっていまして、おばあちゃんが言ってたことなどすっかり忘れていましたし、私自身は京都に一度も住んだこともなくて、まさか自分が京都に住むなんて考えたこともなかったのですが、こうしてひょんなことから京都に住むことになったことは、

亡くなった祖母や、宮大工の棟梁の血が、僕を京都という地に引き寄せたのたのでしょう。自分で意思決定したつもりですが、今はそんな強い運命的な何かを、感じています。かなりドキドキしています。

そこにはどういうメッセージがあるのか?

それを知るためにも、俄然、自分のルーツをもっと深く知りたくなってきたわけですが、(どんな神社、仏閣をてがけたのか?とかも知りたいし...)

残念ながら、家系図など血のルーツを知るには、嵯峨野の蔵に入っていて、現在は人にお貸しているので見ることができません...。

嵯峨野に越したら、パンドラの箱であるその蔵を開けて、家系図を引っ張り出して自分のルーツを探っていこうと思います。これも僕にとってひとつ大きなテーマになってきました。

何だか宿作りのお話が、ドラマティックな物語になっていきそうな予感(笑)。ドキドキ。

ということで、次回は「蔵」をどう活用したいか?のことを書こうかと思います。

PS:3/13〜3/22まで嫁と一緒に新婚旅行に行ってまいります!しばらく更新が止まりますが、また是非ご訪問くださーい。

2010年3月11日木曜日

おばあちゃんのおまじない

嫁です

前回 なぜ宿なのかを 書こうと宣言しましたが
気分が 変わりましたので やめます 笑

そうです わたしは スーパー気分屋かな(^-^)

変わらないのは 何があってもだんなさんのそばに
いるってことくらいでしょうか・・

2カ月ほど前 小さい頃から たくさんわがままを 
聞いてくれた 祖母が亡くなりました 享年81歳

それは 私たちの 結婚式の5日前のことでした

癌が宣告され 手のほどこしようがない事実
それでも 当初の余命では 今年の春くらいまでは
元気。。のはずでした 

一時入院を乗り越え 去年の暮くらいまでは 
本当に病気なのかなって
このまま治るのかなって 思うくらい元気で
お医者さんの言葉も信じられないくらいだったのですが

今年に入り 急に容態が変わりました
余命2週間と両親は言われていたそうです

2週間というのは ちょうど 私たちの結婚式の日

両親は 私に余計な心配はさせまいと
それは秘密にしていたようです

結婚式に出席することを 糧にがんばっていた祖母 
そして その夢が叶いそうにないことを 
なんとなくわかっていた祖母

結婚式の10日ほど前 お見舞いに行った際

病床でやっとの思いで呼吸をしていた祖母
でるかでないかわからないような かぼそい声で
「ぉめぇでぇとぅ・・・・」といいながら その手から
しっかりと渡してくれた ご祝儀袋

当日に持っていくことが 不可能だということを伝える 
悲しいその顔

前撮りの花嫁姿の写真を見せたときの うっすら笑顔

そして これまではとくに大きな病気もせず 最期もくるしまず
ゆっくりと幕をおろした81年の人生

今は私も気持ちの整理がついていますので
こんなふうに書けますが

祖母は 幸せに人生を生き抜いたと思うんです

先日 49日の法要で祖母の家に行きました
そこのトイレのちょうど座った目の位置に
こんな小さな 祖母の手書きの張り紙を発見しました

【オンー黒田のうんぢやく 3回】

何を意味するのかは 想像にお任せします 笑
家族も親戚も誰ひとり 祖母が言いたかったことの
本当の意味はわかりません

祖母は京都が大好きで 毎年春には
欠かさず行っていました

幸せに生きた証をみせてくれた、そんなふうに
感じることのできる この不思議なおまじない

京都で宿をはじめたら トイレに張り紙するんだ、絶対。

来てくれたひとが 幸せになるような気がするよ 

ありがとうね おばあちゃん

2010年3月8日月曜日

京都のお宿を学ぶ2 〜Guest House Project


ダンナです。
京都には町家を改装した「ゲストハウス」という形態のお宿が多いです。
ゲストハウスは簡単に言うと

1 食事なしの素泊まり
2 個室もあるが、ドミトリー中心
3 2000円台から泊まれる安価な価格設定

というのが特徴で、特に京都の場合は町家を改装したものも多く、

外国からのお客様や、長期滞在するお客様に、
気軽に京都の暮らしを味わえる

ということで、支持されているようですね
(京都ではますますその数も増えているみたい)。

そんな中、こんなサイトを発見!
これはかなり役立つなぁ!

★Guest House Project

「和楽庵」というゲストハウスの女将さんを中心に、いろんなゲストハウスの経営者がノウハウや体験談など発信されています。次にゲストハウスを開業したい方に、こういうことを発信できるというのは太っ腹な証拠ですね...。すばらしいと思います。

特に「和楽庵」の物件探しから、立ち上げにいたるまでの日記は面白い。これはちょっと嫁にも共有しとこう。ということで、読んでおいてください、嫁(笑)。

京都に行った際には、是非和楽庵の女将にもお会いして、お話お伺いしたいものです。

ダンナ

2010年3月5日金曜日

だんなさんの独立

嫁です

時間とお金に 余裕がないとなかなか 
他のことに 集中できなくなり 毎日が 
たのしく過ごせなくなってしまうので

わたしは ずーっと余裕を持つことを 意識してきました

仕事は17時半で帰ります
予定も 詰め込みません
手帳も 持ち歩きません
 
けど かといって 仕事が嫌いなわけではありません
職種柄 みんなに あれやってーこれやってー
どうすればいいのー?時間がないんだ、よろしくっなど
お願いされると ドMの私的には うれしくてたまりません 
たいしたことでは ないのだけれど
自分の存在意味などを 見出すことができ
ここに いていいんだ、と思うことができるのです
家庭でもそうです 笑

だんなさんは 出会ったころ 
分刻みのスケジュールで 行動していました
そして 彼の夢や 独立願望が強いということや
自然の中で生きていきたいという 話しを聞き

それでも 忙しい毎日に追われている彼に
正直 不思議なひとだなぁと 思った記憶があります 笑
そんな生活で 身体を壊してしまってよいの?って
本気で 心配でした

徹夜で仕事も普通でしたから・・・

しかし そのころは(たぶんいまも) 
仕事で追われる毎日からも学ぶことが
たくさんあるのだろうし 仕事も好きなようなので

わたしは だんなさんにいつ 独立にむけて動きだすのかや
聞いたり せかしたことは 一切ありません

信じてますから。。どんなことを選んでも選ばなくても

わたしは だんなさんには とにかく好きなことを して
だんなさんの人生を 生き抜いてほしいのです


いまは昔に比べると 本当に早く帰ってきます
毎日 一緒に食事をすることができます
一緒にすきなことをする時間があります 
だんなさん自身の 身体も大切にしてくれます 
うれしいです 

まあ 自分だったら さっさと仕事をやめて
独立してますね きっと 笑 願望がないのでしないですが
直感で いきてますので わたしは 笑

好きなものは好き 嫌なものは嫌
社交辞令こそ 信じられない 
次回 会えなさそうな方には「またね、」なんて
決して 言わない そんな子供のような性格なので・・ 苦笑

だんなさんは ほんきですごいなぁって思います 
 
新たに 動き出した
だんなさんの 人生

なぜ 宿なのか・・・?

わたしからみた その訳を 
次回は書こうと おもいます

2010年3月2日火曜日

なんで宿...なんだっけ?




ダンナです。そういえば「なぜ京都?」は書きましたが、「なぜ宿?」は書かなかいまま、宿をやる前提で話を進めていますね…。

うちの嫁は「思想」とか「思い」といった根っこからちゃんと入る人ですが、僕はどうも場所とか、内装とかそういう「形」とか「枠組み」から入りがちなんだよなぁ…。

うー..、まぁ、うまく役割分担されているということだとは思うとして…。

自分の頭の整理の意味でも「なぜ宿?」を書いておこうと思います。

まず前提として、僕の中で「宿」というのは、「人」や「文化」が新たな出会いと、核融合を繰り返す装置である(というかそうしたい?)という基本スタンスがあります。

★1 大切な人を生涯お迎えできる場をつくりたい
嫁も書いていましたが、ありがたいことに我が家は月に2~3回は誰かが遊びに来てくれます。人の家に遊びにいくというのは気を使うものだと思うのだけど、それでも気軽に来てくれるというのは本当に、本当にありがたいことだと思うのです。実際、その時間はかけがえがないほど大切で、楽しい時間で、そんな人たちとの関係を生涯にわたって大切にし、いつでもフラッとこれるような場をつくりたい。そんな風に思っています。

★2 一期一会を楽しむ場をつくりたい
宿での出会いこそ「一期一会」だと思うのです。毎日新たな出会いがあり、そして別れがある。それが延々と繰り返されていく。一日一日をしっかり噛み締める様に生き、新たな人との出会いを楽しむ。そして、目の前にいる方に、おもてなしをしたい。そんな気持ちがあります。

★3 知らなかった価値観に、クリエイターとして刺激され続けたい
僕は仕事でもプライベートでもゼロから何かを生み出して、形にしていくプロセスが大好きです。これがないと体が疼くというか(笑)、生涯モノを作り続けたいなぁと思うのです(このブログもクリエイティブのプロセス)。
そして僕が好きなモノづくりのスタイルは、全く別の価値観を持った人や、違う土俵にいる人同士が集まって、相互に刺激しあいながら作っていくというスタイルなのです。
数年前に上の画像のようなマインドマップを書いて、仲間と一緒に色々実験的で、面白いと思えるような活動をしていた時期がありましたが、今も根底に流れる気持ちは同じです。

特に今は興味があるのが京都という伝統と文化の地で、新たな風を吹かせている同世代の人。伝統や文化というのは常に革新の連続で強くなっていくと思うのですが、京都という地でそれをしているような、そんな方々と出会い、何かを作り上げるような場を作りたいと考えています。
そして広くは京都、嵐山、嵯峨野という地の「街づくり」につながるような、その一翼を担いたいという気持ちがあります。

うーん…。大分長いなぁ…。
もし最後まで読んでいただいた方がいらっしゃったら本当にありがとうございます(笑)

ダンナ